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萩焼について

■萩焼の歴史

◆萩焼の起源
 萩焼の起源は、およそ四百年前の文禄・慶長の役(一五九二〜九八)によります。朝鮮に出兵した毛利輝元が豊臣秀吉の命により李勺光、李敬という李朝の陶工二人を連れ帰りました。
 慶長九年(一六〇四)毛利輝元が広島から萩に入府すると、二人の陶工も萩に移住し、松本村中ノ倉(現萩市椿東中ノ倉、現在の坂高麗左衛門の窯)に松本窯薪山御用焼物所を開窯し、萩藩の御用窯として召し使えました。李敬は改姓して坂助八となり、初代藩主秀就より寛永二年(一六二五)に高麗左衛門に任じられ、坂高麗左衛門と称し総支配の地位を踏襲するようになりました。

              【名替の御判物】

 松本の御用焼物所から約半世紀を経た明暦三年(一六五七)大津郡深川村三之瀬(現長門市深川湯本三ノ瀬)に分窯、藩の御用窯として開窯しますが、こちらは松本とは違い、半官半民という萩焼ではじめて民窯化がなされました。
 寛文三年(一六六三)には、新たに三輪休雪と佐伯実清(のちに廃窯)を御用細工人として召し使え、松本の御用窯は三件に増え、全盛期を迎えました。

◆磁器窯の誕生
 江戸後期なると萩藩の産業振興策により、小畑地区(現萩市椿東小畑)に雑器を焼く磁器窯が開窯されます。良質な小畑の磁土に注目した藩御用達の京商人山城屋父子が、隠居中の林半六を頭取に起用して、文化11年(1814)に民営の日用器窯として小畑焼が誕生しました。

              【小畑焼・染付八稜鉢】

 一時は中国へ輸出するほど活況しましたが、有田や瀬戸などの大量生産品が流通しはじめ、小畑焼は明治から昭和初期にかけて廃窯や萩焼の窯元へと転向しました。現在では岡田晴雲山窯、兼田天寵窯、泉流山窯が萩焼の窯元に転向して残っています。

◆明治維新後
 明治維新は、萩焼の歴史の中で最も大きな変動を与えました。御用窯は、独立自営を余儀なくされ、明治九年頃に萩、深川の各窯元は、県の指令によって「陶器商業営業」の認可を受けて再出発しました。明治十年(一八七七)にはじまった内国勧業博覧会へ出品し、賞を獲得するなどして「萩焼」のブランドネームを広げました。

◆民営後の苦境
 大正から昭和にかけても苦境が続く中、さまざまな販路拡大をはじめ技術の向上、普及に務めます。中でも、十二代坂倉新兵衛は萩焼を全国に広め不振衰退から救ったことにより、中興の祖と呼ばれています。

              【十二代坂倉新兵衛】

◆萩焼の現代
 1970年代後半から80年代にかけて旅行ブーム全国的な陶芸ブームにのって、萩も窯元の数が一気に増えました。山口県内の窯元数のピークは140〜150件ほどといわれ、一大ブームが巻き起こりましたが、やがてバブル景気がはじけて影を落とします。
 萩焼の技術は、1957年に文化財保護法に基づく選択無形文化財(記録作成等の措置を講ずべき無形文化財)の認定を受け、保持者は十二代坂倉新兵衛です。
 また1970年に十代三輪休雪(三輪休和)、1983年には十一代三輪休雪(三輪壽雪)がそれぞれ人間国宝(重要無形文化財萩焼保持者)に認定、平成2年(1990)に吉賀大眉(1915〜1991)が文化功労者に選ばれるなど、萩焼における芸術性も高く評価されています。


              【三輪壽雪(十一代三輪休雪)】

 2002年1月には、伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)に基づき、萩焼が国の伝統的工芸品に指定されています。萩陶芸家協会(萩市主催)がその振興の中心的な団体として、講習会、展示会やワークショップなど様々な普及活動を展開しています。
 また、現代は60〜70代の円熟したベテラン作家群と30〜40代の若手作家群の二群構成となり、萩焼四百年の歴史の中でも最も作家層の厚い充実した時代、まさに『萩焼の黄金期』と云えます。
 若手作家も萩の伝統的な素材や技法を踏まえながら、独自の個性を引き出し新たな伝統の創造に向かって日夜研鑽を励んでいます。

              【黒の遺構・三輪和彦】

 このように伝統を頑なに守る作家、前衛的な作風で一石を投じる作家など萩焼のスタイルも少しづつ革新を重ねながら、窯の火を絶やさず萩焼の伝統を守り抜き、厳しい時代を経て現在に至ります。
 
■萩焼の特徴と技法

◆茶の湯の歴史...。
 
茶の湯で親しまれてきた萩焼は特に茶碗の制作において、土味が最も重要視されてきました。原土の採掘地が窯元から離れているというのは、この茶陶の生産を主とした御用窯の性格を最もあらわしています。


              【十三世坂高麗左衛門】

◆萩焼の原土
 萩焼の原土は、防府市台道あたりから採掘される大道土を基本に、萩市近郊の阿武郡福江村の金峯土や、萩市の沖合にある見島で採れる見島土を調合したものが一般的です。
 大道土は単独では粘りが強く、より耐火度を高めるために金峯土を適宜に加え精製されます。また、鉄分を多く含む赤土系の見島土を混入させ、見島手、刷毛目などにするほか、泥漿は化粧掛けとしても使われています。これら三種のほかに地土といわれる各窯元の近辺の土を混合し、独特の風合いを表現しています。


              【防府市大道】

◆萩焼の釉薬
 釉薬は長石粉と木灰を混合した土灰釉(透明釉)とこれに藁を燃やした灰を調合した藁灰釉(白色釉)が主に使われます。土灰釉は、柞、樫などの雜木灰で、藁灰は近隣の農家などと契約して入手していますが、最近は入手が難しくなっいるようです。
 萩の場合は土と同様作家の表現の重要な素材として釉薬の調合を窯元独自の調合により精製しています。


              【釉掛け】

◆登窯
 萩は、登窯で焼成する窯元が多く、山裾の傾斜面を利用して築いたカマボコ形の燃焼室(大口)と焼成室(袋)が三〜五室連なっている連房式の登窯です。
 焼成時間は、窯内全体の温度上昇と湿気を除去するための燃焼室(大口)で十五時間程度、焼成室(袋)は、燃焼室の近く一間目から順次炊き上げ、四室の場合で約二十四〜三十時間が必要とされます。焼成終了後、五〜七日間くらいかけて冷却して窯出しをします。
 本焼温度はおよそ千二百度前後であるが、萩焼の土は耐火度が 千七百度以上 と言われ、本焼温度では焼き締まりが緩く、土の風合いを多く残します。
 萩焼の特徴の一つにも挙げられる「 貫入 」というのは、釉表面のヒビのことで、焼成後の冷却の際、素地と釉薬の膨張率と縮差の違いによっておこります。


              【登窯】

◆萩秋の性質
 萩焼は、ざっくりとした柔らかい土味と吸湿性を保ち、独特の柔らかな風合いが特徴です。土が粗く、焼締まりが比較的ゆるいために、浸透性が高く、使うにつれて「 萩の七化け 」と称される茶渋などが貫入から浸透して起こる色の変化を伴い、茶人に深く親しまれています。


              【萩茶碗】