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陶磁器の歴史

■『やきもの』の創生

◆『やきもの』の創生
  やきものの始まりは土器です。わが国では、日本列島にいた先住民族が縄文土器という独特なやきものをつくりました。それが弥生式土器、土師器、須恵器という発達段階をへて、鎌倉時代になるとそれまでより高温で焼いた本格的な陶器がつくりはじめられました。


      

 『やきもの』の創生は、人類が狩猟採集生活から、農耕牧畜の定着生活に移行した新石器時代にはじまります。
 人類は土をこねて形をつくり、火で焼き固めて丈夫なものにすることを発見しました。土を成形、焼成して器にする『やきもの』は「人類が物質の化学的変化を利用した最初のできごと」であり、物理的に石材を打ちかいてつくった石器とはまた異なる人類史的意義を有する画期的な進化だと位置付けられています。
 
 現存するされている最古のやきものは、チェコのドルニ・ヴェストニッツェで発見された、『ヴィーナス』と題されたで、は紀元前29,000〜25,000年のものとされる裸婦の人形です。
  
 日本のやきものは中国および韓国(当時は朝鮮)の影響を受けながら発展してきました。
 
 中国のやきものの歴史は、中国江西省の洞窟遺跡で世界最古と思われる2万年前の土器が見つかっています。 
 中国陶磁の歴史は新石器時代の紅陶や彩文土器から始まり、さまざまな技術革新を重ね、三彩、白磁、青磁、青花、五彩などの華麗な器を作り出し、世界の陶磁界をリードしてきました。
 
 韓国では土器の時代を経て、7世紀の百済(くだら)では緑柚を施した陶器が作られています。
 その後、朝鮮半島の高麗時代(900年頃)に中国・呉越(907年〜)の餞州窯(現江西省、越州窯現浙江省とする説もある)の青磁の技術を導入して焼き始められた『高麗青磁』が生産され始めました。
 
 日本における『やきもの』のはじまりは『縄文土器』、1万8,000年〜1万5,000年前の縄文時代草創期といわれています。
 年表のように日本の歴史は『縄文』『弥生』『古墳』『飛鳥・白鳳』と時代を経ています。やきものの歴史も時代によって進化しそれぞれ時代の特徴を表しています。

 
■日本の陶磁器の歴史 縄文-弥生-古墳,飛鳥
 
      

◆縄文時代 → 縄文土器
  日本の「やきもの」のはじまりに、縄文土器があります。北海道から沖縄諸島を含む日本列島各地で縄文時代に作られたものをいいます。
  日本と英国の研究者は2012年4月に発表したレポートで、北海道と福井県の遺跡から出土した土器の焦げ痕を分析した結果、世界最古の調理跡である可能性があるとの見方を報告しました。
  これらの土器は1万1,800年〜1万5,000年前の縄文時代草創期のものといわれています。考古学者はこれらの土器から魚を加熱した際に発生したとみられる脂質を見つけました。これまでは初期の縄文土器は儀式、食料などの貯蔵に使われたとみられており、調理に用いられたと判断できる直接的な証拠はありませんでした。
  縄文土器の特徴は窯を使わない平らな地面あるいは凹地の中で、やや低温(600℃〜800℃)の酸化焼成のため、赤褐色系で、比較的軟質です。
  胎土は粗く、やや厚手で大型のものが多いが、用途や時期によっては薄手、小形品、精巧品も作られていますが、深い鉢形土器がほとんどを占めています。 
 
◆弥生時代 → 弥生土器(やよいどき)
 弥生時代(紀元前三世紀〜紀元後三世紀)には食料を自然の恵みだけに頼るのではなく、稲作によって自ら作り出すことができるようになりました。その結果生みだされたのが『弥生土器』です。
  弥生土器は藁や土をかぶせる焼成法を用いたことにより、焼成温度が一定に保たれて縄文土器にくらべて良好な焼き上がりを実現できたと思われます。弥生土器は機能優先で簡素に作られた実用品で、貯蔵用の壺、煮沸用の甕、食物を盛るための高坏や鉢など。その後祭器の土師器(はじき)や副葬品の埴輪が作られました。 
 
◆古墳時代・飛鳥時代 → 須恵器(すえき)
  古墳時代から平安時代まで生産された陶質土器(?器)を須恵器といいます。
  朝鮮半島から伝えられた新しい製陶技術に基づいて、ろくろで成形し、丘陵の斜面に築かれた窖窯(あながま)によって1100℃以上の高温で焼成して作られました。須恵器は還元炎で焼かれているため、素地は灰黒色で堅く、盃、杯、碗、壷など多くの種類があります。

 
■日本の陶磁器の歴史 奈良-平安-鎌倉・室町

      

◆奈良時代 → 奈良三彩(ならさんさい)
 奈良時代から平安時代にかけて焼かれた低火度の鉛釉瓷で、日本最古の施釉陶器をいいます。
 奈良時代(646〜794)に唐帝国に遣わされた遣唐使や留学僧達が唐の土産として持ちかえった文物中に、唐の焼物「唐三彩」とその製造法・原材料等が含まれていました。それらの資料をもとに、唐三彩を日本で再現しようとつくられたものが『奈良三彩』です。
          
◆平安時代 → 灰釉陶器
 平安時代になると高火度で釉薬がかかった日本独自の焼物が誕生します。?日本は中国、朝鮮からの影響を大きく受けて発達したものの、そのまま写したのではなく、日本独自の作風の道を進んできました。?
 平安時代には多色の釉薬を施した奈良三彩が姿を消して、再び緑一色の緑釉陶器となります。
また、新たに高い温度で焼かれた緑白色の釉をかけた灰釉陶器も、この平安時代からから作られることになります。
 尾張東南部(現愛知県)の猿投窯(さなげよう)では平安時代末12世紀頃から、猿投窯では次第に山茶碗を中心に焼くようになりました。無釉の浅い碗型の鉢や皿を主とした、山茶碗とよばれる日用雑器の大量生産体制が整います。そのため、山茶碗は一般庶民にも供給されたものであると考えられています。
 猿投窯(さなげよう)とは愛知県名古屋市東部から豊田市西部、瀬戸市南部から刈谷市北部あたりの、約20km四方に集中する1,000基を越す古窯跡の総称です。
  
◆鎌倉・室町時代 → 瀬戸の発展
 猿投窯(さなげよう)の流れを汲む瀬戸では中国の製陶法を参考とし、祭器、仏器、日用品などの施釉陶器が作られ、製陶の中心地となりました。
 この時代には『日本六古窯』と呼ばれる愛知県の『瀬戸窯』、『常滑窯』、福井県の『越前窯』、滋賀県の『信楽窯』、兵庫県の『丹波窯』、岡山県の『備前窯』の六窯をはじめ各地で製陶が盛んになります。

 
■日本の陶磁器の歴史 安土桃山-江戸-明治

      

◆安土・桃山時代 → 茶陶の隆盛
 茶の湯の流行、千利休の侘茶と結びつき、美濃では黄瀬戸、瀬戸黒、志野、京都では楽焼が作り出され、桃山時代を代表する日本独自の焼物文化が花開くことになりました。
 また焼き物戦争ともいわれる文禄、慶長の役を契機として西日本を中心に朝鮮系の施釉陶器が詫び茶文化と絡み花開きました。朝鮮半島から連れてこられた陶工たちにより、新しい技術がもたらされ、各藩は製陶に力を入れ保護奨励し、唐津焼、上野焼、八代焼、薩摩焼、そして萩焼などの朝鮮系窯業地が誕生し、高麗風のやきものが盛んに作られました。
  
◆江戸時代 → 染付磁器誕生
 江戸時代徳川の権力も安泰し、この時代あらゆる文化が繁栄しました。この時代になると陶工達は技術も習得し青磁、白磁、染め付け、赤絵も作れるようになっています。
 1616年に有田の李三平により日本初の染付磁器(有田焼 干支丑染付ぐい呑)に成功し、更に中国赤絵の影響から柿右衛門窯(色絵花瓶)へ、更に色鍋島の鍋島焼(色鍋島染錦花瓶)が藩窯として完成しました。
 1659年になると、ヨーロッパへ色絵磁器が大量に伊万里港から輸出されるようになります。そのために有田焼を伊万里焼とも言います。
 18世紀になると有田地方に限られていた磁器の製造技術が各地にもたらされ、京都、九谷、砥部、瀬戸等で、磁器が盛んに製造されるようになりました。
  
◆明治時代以降 → 近代窯業の発展
 明治初期になると、西洋の技術を導入し、有田焼の改良がドイツ人のワーグナーによって行われ、1875年有田に香蘭社、1904年には名古屋に日本陶器(ノリタケ)が設立され近代陶磁器窯業が出発しました。
 近代では、工業的には石膏型、機械ろくろ成形、連続窯(トンネルキルン)など多くの陶磁器製造が近代化され、それと共に窯業の研究や教育が組織的に行われるようになりました。